ベタニヤ内科・神経内科クリニック

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ALSと呼吸器
エッセイ
緩和ケア

【はじめに】  2003年3月
 2003年の暮れ、私はある訪問看護師さんから人工呼吸器装着を検討する際に必要な判断材料をほしいと言われました。これまで私はこのテーマについてじっくり考えたことがありませんでした。今まで神経内科医として私が接した筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者さん全員が、当初からその選択に迷いがなく呼吸器を拒否したためだと思います。今回、遅ればせながら学ぶ機会が与えられましたことを感謝しています。
 ALSという病は昔からあり、呼吸器が開発された時期から「つけるべきか、否か」の問いは存在してきたのしょう。むかしから存在する問いなのに、なぜか判断材料がすぐ手元に見当たりません。個々にそくした判断が求められるので、一般的なことは表明できないのか、判断材料がないほうが都合がいいのか、私にはわかりません。しかし「必要な情報をほしい」といわれた時、なんとか私なりのご返事をしてあげたいと思いました。以下の内容は、無論完璧ではありませんが、患者さんたちにとっていくらかでも判断材料になるのではと思います。

【要点】
(1)呼吸器をつけるか否かの選択は、いかに生きるかの選択であり、個人が自らの責任において決めることです。個人の幸せは、つける・つけないとは関係ないと思われます。生き方の選択には、個人の権利と責任があります。人によっては、何も知られないでいたい権利もあります。我々は職務を果たしつつ早い決断を強いたり、無理強いすることのないように配慮する必要があります。
(2)日本の緩和ケア教育には重大な欠落があるように思われます。外国文献から引用して「緩和医療には身体的、心理的、社会的、spiritualな要素が必要」と説きながら、実際はspiritualな内容とのかかわりを避けています。ここに日本の緩和医療が成熟できない原因があります。spiritualとは「なぜ自分がこのような病に苦しまねばならないのか?」「なぜこの苦しみに耐えて生きねばならないのか」といった問いにかかわります。回答を与えるのでなく、その問いをともに背負うのです。このケア側の姿勢が、身体的、心理的、社会的ケアと連動して相乗効果をみせるのです。
(3)呼吸器装着後、患者さんがやはり呼吸器を外してほしいと願った場合、それは「悲劇」です。現在のところ装着後に、それをはずすことはほぼ不可能。装着後に本人がはずしたいと切に願っても、その意思を公正に伝達させることが難しいからです。誠にお気の毒と思わざるを得ません。長年にわたって御本人、御家族にも多大な負担を強いるのなら、その選択に何らかの手助けができる私達の責任は重大だといわざるを得ません。
(4)「死ぬ権利」については、議論は避けます。他の議論にかえます。装着後、本人の意思の確認の仕方がないようですが、本当にそうでしょうか?主治医がdefensive medicineに偏るあまり、何とかしようという姿勢が削がれてはいませんか?装着後、眼球だけが動きまた認識力が正常な患者さんに、生きがいをどのように提供できるのでしょうか?人間は成長し考えも代わっていくものです。本人の意思が確認されない状態で、長年、呼吸器という過酷な医療を提供し続けることは倫理的な問題がないでしょうか?これらの問いに真摯に取り組みたい。ここにALSの緩和ケアのひとつの方向があります。
(5)呼吸器を拒む場合、事前指定書は自らの意思を表明できる時までに作成したほうがよいでしょう。その必要な内容と1例を提示します。
(6)呼吸器を拒んだ段階以降、医療のweightは相対的に減ります。ALSの緩和ケアは難しいことが多いため、プロフェッショナルの自覚を看護師・介護者・主治医が強く持ちすぎて本人・家族をリードしがちになります。そのことを、医療側は自制が必要な一方、御本人そして御家族が自己責任の問題であることを認識すべきです。 (7)呼吸器装着後でも人生を楽しめる工夫を早期に本人と打ち合わせが必要です。介護スタッフ全員で、緩和ケアの広がり、深さを追及することが大切です。(音楽、ペット、芳香、ボランティアの朗読、信仰に生きる等)
(8)呼吸器に装着後もある期間、御本人は意識が清明であり、思考も正常です。前頭葉機能が低下していくという報告もあるが、その世界がいかなるものかに関して、ほとんど報告がありません。いかなる世界なのか?推察するしかありませんが、私は今回、その推察を敢えて試みてみました。

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 題目
     【1】呼吸器装着に関する考え方

     【2】人工呼吸器療法について

     【3】呼吸器をつけるか否かの判断材料(今回の主目的)

     【4】呼吸器を選んだ後に本人が見る情景

     【5】スピリチュアル ケア

     【6】感想

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【1】呼吸器装着に関する考え方
1) 呼吸器をつけるか否かの問いと、ALSの患者さんたちの幸せとは別のカテゴリーだと思われます。つけてもそこでの幸せや苦しみがあり、またつけなくても、そこでの幸せや苦しみがあることでしょう。その選択に関して、どの生き方にするかは、御本人が御本人の責任において、決断されることです。
2) しかし決断するのに、呼吸器をつけることがどういう状況に自分をおくことになるのか、またつけないことでどうなるのか、情報を希望される場合、求めに応じて主治医は説明する義務があります。この際、主治医個人の生への受け止め方を無理強いされないように注意が必要です。
3) 主治医が説明しても、不十分だと感じることがあります。これは、生き方のスタイルの選択であって、十分な説明が無理な場合もあるでしょう。たった一言で納得される患者さんもおありになれば、何週間と説明しても結論でないこともあります。
4) ここで敢えて、私は主治医に期待したいことがあります。インフォームドコンセントの求められる時代です。呼吸器をつけるか否かの判断において、患者さん達が何を心から主治医に求めているか的確に対応していただきたいと思います。このことに関して学んだり、また指導される機会が乏しいために、患者さんから問われた時、取り組むことが難しく、その結果困っておられる患者さんが少なくないと思います。「もし、呼吸器をつければまだ生きながらえますよ」程度の説明しか得られないなら、一種の犯罪だと私は考えます。確かに生きながらえますが、その間に御本人が受ける異常知覚、社会的喪失感、断絶感、孤独、etc、これらを患者さんに強いる権利は、家族にも主治医にもありません。御本人が、充分なインフォームドコンセントを受けて、後悔のない決断ができるよう徹底した支援が必要です。
5) さらに主治医に希望します。どのような療養を御本人が期待されているか?おおよそ理解することが大切です。少しだけ先回りして情報の提供をして、様子をうかがいながら具体的な緩和ケアの方法を決定していくことです。けっして早まらないように。また御自身の人生観や個人的な生きることに関するコメントをひけらかすことのないように。
6) 患者御本人と御家族にも忠告します。どうしてよいかわからない時(主治医から説明が得られない時、ケアマネージャーや訪問看護師さんから、民生員からも解決が得られない時、…)孤立無援だと思ってはいけません。必ず回答が見つかるはずです。患者と医師の関係は、まず患者側が診療の依頼をすることからスタートします。すると、医師は必ず了解します。この時、医師は責任を果たすために懸命に考えてくれますが、常に適切な指示を出してくれると思ってはいけません。10人の医師に相談したら、10人とも異なることをいうものです。当たり前のことですが、回答を与えてくれる人に問うことが重要です。いかにそのような人をみつけるか?ALSと真剣に取り組んでいる人たちは、全国に大勢います。日本ALSの会、在宅ホスピス協会などに問い合わせて、紹介してもらうことが一例です。近所の医師に相談して、適切な担当者を紹介してもらうのもいいでしょうが、10〜20医師に相談して一人見つかればいい位に覚悟したほうがよいでしょう。

【2】人工呼吸器療法について
呼吸器の種類・操作については省略
まず人工呼吸器について説明する時期について(日本ALS協会資料より)段階的告知方法は、障害の面からみると運動、コミュニケーション、嚥下そして呼吸障害の4点に集約されます。診断確定後なるべく早期に、運動、コミュニケーション、嚥下の3障害について告知(第1段階告知)し、病気は治らなくても障害に対する対処法があることを説明します。ある程度病状が進行してから呼吸障害に触れ、気管切開や人工呼吸器について説明(第2段階告知)します。
第1段階告知 
四肢麻痺による運動障害 出来るだけ、廃用または栄養障害による二次的な筋力の低下を防ぐように説明。 
コミュニケーション障害
患者には早期からコミュニケーション障害に対しての準備。進行してからの技術マスターは荷が重過ぎます。
嚥下障害について
経鼻胃チューブ、胃瘻についての説明を行うとともに、経口摂取に無理にこだわることによる嚥下性肺炎の可能性、栄養障害の問題について説明。
第2段階告知 
呼吸障害について
気管切開、人工呼吸器についての説明を行うが、深刻な問題なので患者の家族状況、会社などの背景が十分把握でき、患者との信頼関係が築かれた後に行うことが望ましいです。
いろいろな角度からの説明を。
人工呼吸器について説明するときには病気のことを説明するだけではなく、人工呼吸器療法に伴う他のさまざまな側面についても併せて説明し、気管切開や人工呼吸器装着などの医療処置を受けるかどうかを人生観、死生観に照らして患者本人に自己決定をしてもらいます。
「人工呼吸器を装着しないと決断することは呼吸不全に陥ったとき、“目前の死”を選択することであり、患者にとって厳しすぎると考える人もいます。しかしインフォームド・コンセントの法理からすると、それがたとえその患者にとって辛いことであるにしても、また家族が「本人には言わないでほしい」と申し出ても、「明日かつ現在の危険」があるなど特段の事情がない限り、患者の「知る権利」は医師・家族らの「知らせない配慮」に優先します。」 日本ALS協会資料より。

★人工呼吸器療法による療養形態を選択した場合
@ 長期入院によるもの どの病院も、人工呼吸器を付けたALS患者を多数、長期に入院させることは困難です。それが困難な理由は、看護力が足りない点が最も大きいが、長期の臥床により全面的に依存的となったALS患者に対し、いかに生き甲斐を感じさせ日々の生活に変化を持たせることが困難であるかという事も大きいのです。従って、人工呼吸器療法を希望する患者は、どのように日々生きたいのかということを患者自身が予めしっかりと認識していることが不可欠であり、また、家族もそのことに対し全面的にサポートするようでなければなりません。長期入院の出来る病院を見つけることが如何に困難であっても、不可能ではなく、患者自身が生きることに対する目的と希望をしっかりと持っていれば、主治医も何とかしてその希望を叶えられるように努力するものです。
A ALSの在宅療養の現況  患者のQOL(生活の質)という点では長期入院療法に勝るため、人工呼吸器を付けて入院中の患者に対しても、在宅調整(在宅療養が可能になるように福祉サービスと連携して外からの介護力の導入を図る)により在宅療養への移行が出来るだけ進められています。在宅療養には訪問看護ステーション、難病ヘルパー、ボランテイアなどの働きでサポートされますが、ケアマネージャーと相談の上、相応の介護時間が家族に求められます。
B 人工呼吸器は、一部の県では貸し出しを行っているが、貸し出し台数の制限などもあります。しかし、病院(医院)が医療器具業者とリース契約を行い、患者に人工呼吸器の貸し出しを行っても、健康保険による医療費の在宅人工呼吸指導管理料で収支が合うようになっています。
 在宅ALS患者を扱う医療機関に対する人工呼吸器の購入に助成を行っている都道府県:
        東京、大阪、千葉、新潟、秋田、兵庫、福井など
(詳しくは都道府県の担当部署または近くの保健所にお聞き下さい)
 在宅人工呼吸器のレンタルリース料(月額)
(某社の例)  46,000円(保守点検費用を含む)
            参考: 保険点数
                  在宅人工呼吸指導管理料 2,300点
                  陽圧式人口呼吸器使用加算 7,000点   
C 在宅人工呼吸療養ALS患者の生活の質に影響を与える因子

  近くの家庭医(かかりつけ医)に定期的な往診を受ける
   家族介護力充電のための定期的なショートステイ
   合併症の治療のための緊急入院のための受け入れ病院を決めておく必要
   吸引器、ピンセットなどの器具
   吸引カテーテルや消毒ガーゼなど医療用消耗品のための出費が毎月一定額必要
   人工呼吸器のための部品の交換、消毒は、一日の回数が多い。
     介護者にとって相当な負担となります。しかし、少し練習すれば、家人も危険なく行うことが出来ます。また、個人的な了解を基として、ヘルパーさんや、ボランテアの方に行ってもらっている例が増えてきています。(法の改正あり。要確認。)ベンチレーターをつけての自立生活:医療的ケアについて(鹿野靖明氏=アナザーボイス33号より)
D 在宅人工呼吸療法中の患者及び家族の日常生活の満足度について行った少数患者に対する調査(国立療養所千葉東病院、I.M.先生ら、1994)によると、予め病名告知と社会的側面の充分な説明を受けた後、人工呼吸器を装着した患者(5名)における日常生活に対する満足度は“ほぼ満足”以上が3名、“何とも言えない”と答えた患者が2名であり、”非常に不満”という回答はなかったが、病名未告知のまま急な呼吸困難のため人工呼吸器を装着した患者では“非常に不満”と答えています。一方、介護者の方は病名告知と社会的側面の説明も受けた家族のうち“非常に満足”と答えたのは半数にしかすぎませんでした。呼吸器装着後、医療のweightは相対的に減ります。そのことを、特に御本人そして御家族が認識すべきです。呼吸器装着後でも人生を楽しめる工夫を早期に本人と打ち合わせが必要です。介護スタッフ全員で、緩和ケアの広がり、深さを追及することが大切です。そのスタッフの中には、友人、放送、ラジオやテレビ放送の選択と管理係り、牧師、神父、朗読のボランティア、ペット、音楽、芳香などなど。御本人の魂が、生きていくために不可欠な何かを提供していくことが求められます。この取り組みは呼吸器のコミュニケーションが可能なうち早期に行い、本人や家族から引き出さねばなりません。
E 眼球運動以外のコミュニケーション手段について 眼球運動でコミュニケーションが可能ですが、眼球の動きが困難になってくると、他に意思伝達の手段はないでしょうか? たとえば肛門括約筋が動くなら、yesなら1回の収縮、noなら2回のようにして会話可能です。 脳波をつけて、yesにはアルファ波を出すような訓練はできないでしょうか。たとえば運動会でよくきる「天国と地獄」の曲。あれを頭で演奏している時の脳波と、サンサーンスの「白鳥」の曲を演奏する脳波は異なるでしょうか。もし、違いがあるなら、これで会話可能です。Yesには「天国と地獄」を思い浮かべる、noなら「白鳥」です。もっともしっかりしているころから、練習が必要でしょうけれど。

★人工呼吸器療法による療養形態を拒否した場合
 本人と家族から意思表明がなされたら、在宅ホスピスとして、担当者会議が早急にもたれます。そうして予想される状況に対して、スタッフだけでなく御家族も心の備えをしていただきます。ここで大切な要件は、死の支援ではなく、病によって世を去りつつある患者さんがなおQOLを高く保てるように心理的、身体的、霊的、社会的にささえることです。
 具体的には、主症状は痛み、呼吸困難、精神的苦痛など。これに対して、薬物治療、体位変換、酸素吸入などで対応します。薬物には、鎮痛薬・抗不安薬・抗うつ薬などが含まれます。私の経験では、ある患者さんが息苦しい、胸の圧迫感、「かきむしるような」辛そうな症状をしておられるのを経験しました。まだ神経内科医として駆け出しの頃であり、心肺の疾患を想定していろいろ検査からスタートしました。しかし今ではバイタルサインと肺雑音とSpO2を確認後、問題なければ背部のマッサージから始めます。次に両上肢の挙上をさせて胸郭を引き上げます。これらを繰り返していると、次第に本人は落ち着いてきます。
 これが何の症状であるのか?適当な病名が思いつきません。私たちが24時間以上、狭いベッドで安静を強いられた時にきっと感じるのと同じ症状だと思います。私たちは、適当に運動することで全身の骨格筋は充分にいい血流を確保しています。しかし、安静を強いられると、腰・背部からの異状知覚の神経入力を扁桃体という感覚中枢が受け取ります。これがfear net workを活性化させて不快感、圧迫感、逃げ出したい気持ちを引き起こします。さらに悪化すると、死ぬかもしれない強烈な恐怖を起こします。パニック障害と一部共通するメカニズムだと推察します。
 ALS患者の緩和ケアについて、国養千葉東病院神経内科の今井尚志医師は、ALS患者さんの呼吸困難をはじめとする各症状に対して、どの様な手順でコントロールを行うか検討して現在、共同でガイドライン作成をめざしているようです。私としては、このfear net workを沈静させるには、血中の乳酸濃度を上昇させないことが重要だと考えます。リハビリが効果的であり、有効に活用すれば薬物治療は半減すると予想します。

 (日本ALS協会資料より)
 「呼吸不全に陥ったとき延命処置を望まず人工呼吸器を装着せず死亡した患者の遺族に対する調査(8遺族)では、全例がどのような医療的処置を受けるか患者と家族で相談することができたと答え、患者の療養方針を決定する上で社会的側面の説明を含めたインフォームド・コンセントが患者・家族の療法に必要であると回答している。患者が人工呼吸器の装着を選択しなかった理由としては、2遺族が経済的問題や介護力等の社会的側面の影響が大きいと答えている。現在の医療制度、社会環境のもとでは、患者が人工呼吸器の装着の自己決定に際し、経済的問題や介護力などの社会的側面の影響を受けることは避けられない。患者や家族が療養方針を決定する際に、社会経済的影響がなるべく軽減できるように神経難病緩和ケア病棟の整備、在宅療養支援システムの整備に努める必要がある。」

 (厚生省特定疾患調査研究のある主任研究者の報告)。「神経難病患者が生きがいをもって生活するためには2つの要件が整備されていなければならない。1つは医療・福祉・保険に関する総合的かつ適切な情報が容易に得られる環境を整備すること。2つ目は必要な時にはいつでも、かつどこからでも最適な医療が受けられる…施設を整備すること。」

 これらを読んでの私の感想です。もし「環境だけ整えれば、患者さんが生きがいをもって生活できる」と思っておられるような印象を受けました。もしそう思っておられないなら、生きがいをもって生活するという言葉を使用されないほうがよいと思います。ハード(建物)の整備も確かに大切な要素ではあり、その関係の部署にいる担当者の重大関心事であることも理解します。しかし、緩和ケアの産みの母、シシリー・ソンダース先生は、明言しています、「緩和ケアで大切なのは、建物ではなく、その中身、その哲学です」と。この日本で患者本人の立場に立って支援すると表明するなら、「呼吸器に装着された後の患者さんの、生きる尊厳はいかに保守されるのか?」、「本人の意思が確認されない状態で、過酷な医療を提供することは倫理的な問題があるのでは?」「装着後、本人の意思の確認のしようがないのなら、それを十分に承知している医師が何の手立てもうたないでいるのなら、それこそ重大な問題では?」etcこれらの問いに、積極的に取り組まねばなりません。

【3】呼吸器をつけるか否かの判断材料
1 呼吸器をつけた後の身体的な苦痛は、どの程度か?
2 呼吸器を拒んだ時、呼吸困難はどの程度か?
3 御家族の心情をいかほど、本人は汲み取るべきか?
4 法的に力のある同意書の書き方は?
5 呼吸器につけられ意思を表明することが困難になってからでも、どうにか
  呼吸器をはずす方法はないものだろうか?
以上の1〜5の項目について、御説明いたします。

2 呼吸器を拒んだ時、呼吸困難はどの程度か?
 なぜか人それぞれの状況を示してきます。ここに、呼吸器を拒んで亡くなられた3人の方を紹介します。
(1)
 58歳、男性。約10年前、尾鷲の自宅に帰っていたALSの患者さんが、呼吸困難が次第に悪化したため、奥様から当時私が勤務していた松阪中央総合病院に電話がありました。「主人がこの世は地獄だといって泣いているんです」と。病院に救急車で搬送されたときは、重症肺炎のため呼吸不全になり、意識レベルは低下していました。酸素のみの吸入で約3日後になくなりました。かわいそうな方でした。在宅中、抗不安薬やモルヒネの治療もすすめましたが、一切を拒否。呼吸困難が悪化したら、入院をと御本人に伝えてありましたが、彼は「入院しても治療法がないから」と言って、ぎりぎりまで我慢されていたようです。当時、私は在宅ホスピスにまったく無知でした。今なら、彼の手をとりながら生きることの責任と義務についてお話したい、体は病んでも気持ちまで萎えることのないようにと思いました。しかし、またこうも思います。生き方の選択には、個人の権利と責任があります。人によっては、何も知らされないでいたい権利もあります。「この世は地獄だ」と叫んでいった人生と、「皆さん、ありがとう」と言って逝かれた人生との優劣を決める資格は私たちには与えられていません。
 (2)
 78歳の女性。入院してから、動脈の酸素濃度は低下し、二酸化炭素の濃度が上昇していました。CO2ナルコーシスといって、二酸化炭素が体内で増えてきますと、患者さんの意識が低下して、意味不明、多幸感などの症状になります。多幸感がいかなるものか、推測できないが、御本人は傾眠状態で痛みや苦痛、息苦しさなどの訴えはまったくありませんでした。一切の薬物をつかわないで、点滴による水分と栄養管理のみで約1週間後になくなりました。気球が丸一日かかって軟着陸するように、ある意味で理想的な去り方でした。
 (3)
 60歳、男性。車椅子の生活になってから、松阪中央総合病院の私の外来に通院するようになりました。当時、外来が2時間待ちは普通でした。初診の時から、彼はいつも最後でした。辛抱強い方だなと感心して、「お待たせしました」とありきたりの挨拶をしたら、「こんな状態の患者を、平気で待たせる医者の顔を見たくて待っていた」と返事してくれました。しかし毎回じっくりとお話できて、互いの信頼がつくられてきました。ある日、彼は病状が進行してきたため、私に「生きることが辛い」内容を話されました。私は彼にどう話しかけてよいかわからず、つい「私はあなたに同情してはいません」ときっぱり伝えました。「人生、何が起こるのかわかりません。私達の死亡率は100%、いずれ死ぬ私達にとって大切なことは今をいかに生きるかということ。あなたが嘆き苦しんでいる姿を、奥様もお子さんたちも見たくないでしょう。とっても難しいことではあるけど、私たちは弱っても傷ついても、なお他の方のことを思いやることを忘れてはいけません。イエス・キリストは十字架にかけられてこれから死のうとしている時でも、他の人のことを考えていました」。それからも病状は悪化していきましたが、彼の表情は何か吹っ切れたように笑顔が見られるようになりました。その後、入院。呼吸困難の初期はマイナートランキライザーが効果ありましたが、いよいよ悪化してきた時はモルヒネの座薬が効果的でした。モルヒネと鎮痛剤の座薬を交互に使用していたが、本人が「今の座薬はぜんぜん効かなかった」と訴えることで、モルヒネの効果がよくわかりました。最期は安らかにゆっくりとした軟着陸でした。亡くなられて私は御家族・息子さんに病理解剖に承諾してほしいとお願いしました。すぐ拒否の返事でしたが、しばらくして奥様が「主人は先生を完全に信頼していたので、もし主人なら拒否しないと考えました」と言って了解して下さいました。

3 御家族の心情を、いかほど本人は汲み取るのでしょうか?
 御本人がいて、御家族がいます。両者がいかなる世界を形成しているのか、第3者には推し量ることは不可能、かつ覗き趣味になりかねません。本人の意思と家族の意思が異なった場合、どちらが優先するかは内々で決定されることに違いありません。
 しかし、その決定ができずに私たちに相談が寄せられることがあるので、対応を考えておいたほうがいいでしょう。
 家族の心情を推し量ることは不可能にちがいありません。家族家族に独特な背景があるのであって、あらゆる解釈や注文は不適切です。「なぜ呼吸器を拒むのでしょうか」、「呼吸器を拒否することは自殺行為。家族がそれを助けるとは、考えられない」などなど。みな感じることは自由ですし、コメントとして表明するのも自由ですが、批判や攻撃になるなら控えるべきです。
 次の決意文でも説明しますが、御家族と御本人の意向が異なる時、御本人のとる姿勢が問題なことがあります。御本人が投げやりになって、「もう死んでいく」、「何もしないでくれ」と捨て台詞のように言うなら、家族は「ちょっと待ってくれ」になります。人生のいかなる過程にあっても、われわれには他の人を思いやることが求められるのでしょう。

4 法的に力のある同意書の書き方は?
(呼吸器装着を拒む決意文の作成について)
 御本人のそれが意思であることを、第3者に伝えるために必要です。このことを執拗に要求するのは主治医です。提供される医療が、法的に倫理的に保障されることを求めるからです。しかし、これは(私の考えでは)主治医との関係によっては、必須ではありません。具体的にはcase by caseなので、一般的に共通して銘記することや仕方を列挙します。 
 @明確な本人の意志表示を文章やビデオなどで記録し保存する。A利害関係のない第3者の立会いを。B自分の責任において決断していること、その期日日時を表明。C呼吸器装着を拒否する旨。D後に意識レベルが低下して、その状態で決意を翻す可能性があるので、決意書の内容が後の意志表明に優先すること。Eさまざまな予想される事態に共通していることは、苦痛を延長させる処置はすべて拒否すること。たとえば蘇生術。F変更を希望する時は、再度決意書を作成する。Gこの決意書に家族と主治医の署名と捺印。
 その作成に際して、御家族や親戚、友人達への配慮が必要と思います。その生き方を選択することは、目前の死を選ぶっことであって、周囲には性急な去り方と受け止められます。ここに日本人的は心理が働いて、周囲の方々に名残惜しむ、引き止める心理が生じてくるのです。御本人の死は周囲の人たちにとっても耐え難い離別であり、彼らを最も慰めることができるのは自分自身であるという自覚が大切に思います。また周囲の方達は、御本人にとって何がもっとも幸せな選択であるのか、自身のことよりも、御本人の意思を尊重する姿勢が求められます。                                  
 しかし、法的に力があっても医療現場では無力なこともあります。決意書は状況によってはまったく無視されます。たとえば、御本人が急に息苦しくなった時、親類の方がいて決意書については知ってはいたが詳細については理解していませんでした。家族や主治医と連絡できなかった場合、その人は救急車を呼び、病院に搬送させます。その後は、瀕死の状態なら救急外来では蘇生術を施され、呼吸器につけられるでしょう。医療機関に受診させること自体が、「徹底的によろしくおねがいします」という意思表明であるのですから。                   
 後述した斉藤清(仮名)の遺書は、単なる一例です。十人十色の決意書があることでしょう。

5 呼吸器につけられ意思を表明することが困難になってからでも、どうにか
 呼吸器をつけても、眼球その他の手段で会話が可能なら、意思疎通ができます。そして呼吸器に関して自らの意思を表明できます。キーボードの画面をみつつ、ワープロを打てる機器があります。それを利用して、呼吸器を装着後に自らの意思を表明できます。
 眼球運動によるコミュニケーションは、可能であるが、はい、いいえだけの会話なので、発語能力がある時期から御本人と家族が練習を積む必要があるでしょう。しかし、100%の信頼性がないので、呼吸器装着後、「外してほしい」旨を伝えたくても、数%の頻度で誤りが確認されたら本人の眼球での返答は無効になることでしょう。
 (前述していますが)肛門括約筋が動くなら、yesなら1回の収縮、noなら2回のようにして会話可能です。脳波をつけて、yesにはアルファ波を出すような訓練はできないでしょうか。たとえば運動会でよくきる「天国と地獄」の曲。あれを頭で演奏している時の脳波と、サンサーンスの「白鳥」の曲を演奏する脳波は異なるでしょうか。もし、違いがあるなら、これで会話可能です。Yesには「天国と地獄」を思い浮かべる、noなら「白鳥」です。
 呼吸器をはずせば直ちに呼吸不全から死の機転をとるので、ほとんど安楽死そのものとみなされることがあります。現時点では多くの医師は「外せない」と返答するでしょう。
 呼吸器につけられた後でも、本人の意思の確認ができれば、またたのいくつかの条件がそろうなら、また相応の経過を主治医として知っているのなら、私の場合は外すようにするかもしれません。

【4】呼吸器を選んだ後に本人が見る情景
 ALSが進行して、呼吸困難な症状が出始めると、主治医から呼吸器の助けをかりるか否かの選択を求められます。しかしこの時、判断の助けになる「もし自分に呼吸器につけられたら、その後どのような状態になるのか」について、明確な説明を受けることはありません。それは患者さんから経験話を聞くことができないばかりか、主治医としても単なる推測は危険な判断を生むと考えるからでしょう。しかし理由がどうであれ、患者さんの立場ではなんとか、少しでもそれに関する情報を欲しいと願われることでしょう。
 しかし、そもそも重大な決断のとき、充分にすること自体が不可能なのでしょうが、私は敢えて患者さんたちが「呼吸器で管理された世界がいかなるものか」の問いに、私なりに答えてみたいと考えました。
 私はここに3人のALSの患者さんに登場していただき、神経内科医としての経験から、おそらくこうであろうと推測して彼らの「こころの風景」を日記風に記してみました。
 3人は呼吸器に対して3様の選択をしました。私の個人的な主張が幾分多くなり、やや偏りある内容になっていることでしょう。しかし、現実の一端でもご理解でき、呼吸器をつけるかの決定に少しでもお役に立てれば幸いです。
 私が注意して作成したことは、3患者とも現実に肯定的な姿勢でいることでした。
では3人を紹介します。
【呼吸器に装着され、幸せな森川幸一氏(仮名)】
【呼吸器に装着され、後悔している服部一志氏(仮名)】
【呼吸器を拒否して、亡くなった斉藤清氏(仮名)】

【呼吸器に装着され、つつがなき日々をおくる森川幸一氏(仮名)53歳。 ALSが発症して6年経過。呼吸器をつけて6ヶ月経過。】
 私の一日は、朝5時、我が家の愛犬ジョンが庭を駆け回る音で目覚めることで始まる。私の部屋は一階の庭に面したところにあって、日中にヘルパーさんや看護婦さんが出入りしやすいように改造されているので、庭のそばに私のベッドがある。目を覚ますというのは、私の場合、意識が覚醒するのであって、私の両眼はタオルで覆われているので見えない。3人の子供たちは、相変わらず、遅刻ぎりぎりまで寝ているので、朝食の時はまるで戦場だ。「いって行きます」と長男が言って玄関から出ようとした時、妻が「お父さんに声かけたの?」と言い、また妻自身も出勤前で世話しく動き回り、「では行ってきますね。今日も私たちを見ていてね」と声をよこしてくれた。
 ラジオのFM放送がかけっぱなしになっているので、私はただいつも音楽や解説者の説明を一方的に聞くだけだ。考えることは、まったくの自由で、いかなる制約も受けないはずだ。考えることだけは。
 しかし、これからの一日は実に長い。否、長かった。呼吸器につけられた当初、一日はあまりにも長くて苦しかった。何も家族や主治医とコンタクトがとれないこと、いろいろ呼びかけてはくれるが、私にはもうどうでもいいようになっていた。しかし、6ヶ月の間、私は鍛えられた。家族の、ヘルパーさんの、訪問看護師さんの声かけに、自分なりに心から返事ができるようになった。たとえ介護と私の気持ちが噛み合わなくても、取り繕うそれだけでも、ありがたいと感じるようになった。
 今日は、気管切開のところに留置されているカニューレを交換される日だ。のぞみクリニックの主治医が往診して交換してくれる。当初は、咳がとまらず、これが苦しくて嫌であった。しかし、最近は咳はほとんどない。咳をするための呼吸筋は完全に萎縮してしまっているのだ。感覚神経は残されるが、息苦しいとも感じなくなった。6ヶ月も繰り返されてきたカニューレ交換を主治医はまるで機械の部品交換のように実にあっさりとやりこなす。私が聞くことができるのに、感じることができるのに、ただ運動能力が消失しただけなのに、この医師は一言の挨拶もなく帰っていった。しかし、私は彼に対しても感謝を示そう、私を助けてくださっておられるのだから。
 ヘルパーさんの介護にいろいろ気をつかってきたが、今では自分の体でありながら遠くで自分を感じている。呼吸も、四肢の動きも、体位変換も、なにもかも自分では意識的にすることがない。どうも最近、考えることが激減してきたと思う。私の思考は使わないでいることが増えた分、廃用性の機能低下に陥ってしまった。つかわないでいると筋肉は萎縮していく。同様に神経回路も、ぼろぼろに切れて失われていく。いま、残っているのは刺激されるところのみ。つまり、家族のこと、自分の病気のこと、周囲のこと。ただこれだけを考えることができる。
 呼吸器は快調で、まったく故障したことがない。一度、深呼吸をしてみたいが、そのようなセッティングになっていないのでできない。「一度、胸いっぱいに息を吸ってみたい。いつも一定量の息しか吸えないというのは、とても生きている者としてはおかしい。時々、不規則な呼吸になるのが生きているということだと思うのだが。」こころの内で呟いてしまったが、仕方ない。私の頭の中から「何かをしてほしい、したい」という願いがあるからおかしくなるのだ。すべて周りの情景はラジオで聞こえてくる世界のように感じよう。それが、わが身を穏やかに保つ秘訣に違いない。
 夜11時半、こども達が「お父さん、おやすみ」と言ってくる。ドアの開け方や足音だけて、またそばに立っている時に感じる彼らの赤外線で、私は誰なのかすぐわかるようになった。子供がみなベッドに入ってしばらくして、妻が近づいてきた。右手で、私の頬をさすりながら、「あなたは何も子供たちに対してしてあげられないと思って悩んでいるでしょう。でも、子供たちはあなたに今でも頼っているのよ。今日も食事中にお父さんならきっとこう言うに違いないといって笑ったの。あなたがこうして息をしていてくれるだけで、とってもうれしいんです。あの子たちが、この家から巣立つ少なくともその日まで、生きていてね。その後はできることなら私のために生きてほしい。あなたにとっては、苦しいことかもしれないけど、この世の中で弱い私たちが生きていくのに、あなたが必要なのです。お願いだから、生き続けてね。」このように毎晩のように語り掛けられる。
 妻からは外見上、私は平静に見えるだろう。しかし、私は心身の苦痛と戦っている。この状況を妻や子供たちはわからない。わからないから、そのように私に頼めるのだろうとも思う。「しかし、…」私は、妻のこの言葉をきいて毎晩、「生きることは、こういうことなのだな」と思ってきた。「この世から、完全に去るその時まで、心身の苦痛からは解放されない。生きることは、苦痛そのものなのだ」と。また一方で家族からは、こんな私でも生きる意味があるのだろうとも思う。私は呼吸器で助けられているが、いつ肺炎や突発的な体調の変化で死ぬかもしれない。確かに体は朽ちていきつつある。だが幸いにして、私はほとんど体の痛み、しびれ、だるさを認識しなくなった。傍観者でいるテクニックを取得したので、精神的にまた心理的にも追い詰められても悩むことはない。いかなる周囲の出来事を、私はそれを単なる情景として見ることができる。私はなんとかそうして生きていこうと思う、私を必要としている彼らのために。

【呼吸器に装着され、それでよかったのか否かわからないでいる服部一志氏(仮名)、68歳。ALSの発症後、8年経過】
 私は呼吸器をつけてほしいという家族からのつよい求めに応じず、呼吸器への装着を拒否した。2003/12/18、耐え難い呼吸困難におちいり、家族は私に問いただしたようだ。「この苦しさから逃れるには、呼吸器しかないんですよ」と。私は意識が朦朧としていたので、妻が「つけようか」と問うてきた時、どうもうなずいてしまったようだ。あとで「なぜ呼吸器につけたのだ、あれほど繰り返して言ってきたのに」と妻を責めたが、仕方なかった。以来、私は呼吸器につながれたままだ。
 2003/3/31、私は呼吸器につながれて約6ヶ月が経過した。朝、6時、子供たちが父親の体の清拭をしてくれる。長女の礼子、高校2年。美穂、中学2年。初めにオムツを交換するが、礼子が「わあ、いいウンコが出ている」と、臭いをかいで言った、「さあ、お父さん。しっかり拭いてあげるから横になって。」 美穂が父親の体を横向きにして、礼子が背中を濡れたタオルでふいた。「この約20分間、なんと気持ちのよいことか。体をマッサージのようにふいてくれる時が特に気持ちがいい。」その後、胃婁チューブからラコールの栄養剤が投与される。この半年間、一日も欠かさず、子供たちは毎朝、父親の体をふいてくれた。
 その後、ダイニングルームの方から、妻や長男の声がしてきた。家族4人が楽しそうに食事している。私の目には濡れガーゼがかけられていて、聴覚でしか、周囲の状況を理解できない。しばらくして「行ってきます」と元気な3人の声がした。妻は、パートで近くのスーパーで働いている。子供たちが出かけた後、茂子が台所で皿洗いをしている。賛美歌を歌っている。幸せな時に茂子はよく歌を歌うが、こんな夫を介護してくれてなお、うれしい時を持ってくれているとは、私は毎朝ここで涙が出てきてしまう。9時過ぎに、「お父さん、では行くからね。私の声、聞こえているわね。」と言って、出勤して行った。呼吸器は、快調に作動している。時々、深呼吸がしたくなるが、したい時にできず、気持ちが安定しているときに限ってサイがかかる。ひる過ぎ、訪問看護師さんた二人きてくれる。
私はこころの中で思った。「妻の茂子、そして礼子、美穂、すぐるよ。私は、お前たちに介抱されて、この上なく幸せ者だと思う。しかし、私のために、お前たちの時間が費やされることに耐え難い苦痛を覚える。お前たちはお前たちの時間を、自分のために使ってほしい。確かに、お前たちが日々成長していく姿を、ぼんやりと見ることができ、また遠くで聞こえる家族の会話を理解しながら、毎日、家族の一員であることを感じられることは幸せなことと思う。茂子も、まだ若い。私に拘束されないで、もっと自由にこの世の中で生きていてほしい。そのことが私の喜びでもある。半年が経過して、わかってきたことがある。日中、私の両目は何も見えない。家族のみなの状況は、ちょうどラジオを聴くかのように、音声で私の脳に入力される。ただ聴くだけであり、私からはまったく意思を表出できない。これなら、天国から家族を見ていたほうがいい。地上で生きながらえることには、心身の苦痛が伴う。私は祈る、『天の神様、肺炎とか脳卒中を起こしてくださって、私を早く御そばに伴わらせてください』と。」

【呼吸器を拒否して、亡くなった斉藤 清氏(仮名)、52歳。神経内科医。ALSが発症して5年経過。】
2003/12/31現在、私にとって動く手足は、右のひとさし指だけであった。いよいよ、キーボードに触れなくなる日が近づいてきている。そこで私は、遺言を作成して今後の決断を主治医と家族に伝えようと思った。 
「遺言 心から愛する家族へ。そして主治医殿へ。
 はじめに、わたしのこの病気のためにお骨折りくださっています主治医に、心から感謝します。また、わたしの妻と子供たちにも心から感謝します。R・シュトラウスの「最後の4つの歌」に、「さあ、わが妻よ、こちらへ来なさい。夕暮れが近い。迷わないように、しっかりと手を取り合っていこう。」このような人生の夕暮れを期待していたのに、現実は厳しい情景を設定してくれていました。だがよく考えてみますと、私はいったい何の不服を申し立てることができでしょう。振り返ると、これこそ満ち足りた豊かな人生であったと言わざるを得ないのです。人生をともにしてくれた家族に心から心からありがとうと言います。
 本題ですが、人工呼吸器につなぐべきか否かについて、いよいよ私の意志を表明しなければならない時がきました。私は、主治医(○○医師)から、呼吸器をつけない場合について十分に納得いく説明を受けました。そして、そのことをもとに家族と相談した結果、次のように結論を出します。わたしは今、明確にここに、人工呼吸器の装着を拒否し、目前の死を選択いたします。このことを、私が意識清明で、充分に自らの処遇を判断し決定する能力があると主治医が認めた2003年12月31日に、ビデオで録画しつつ、私の弁護士の同席のもとに、この書類を作成しています。この書類にしたためられている私の意志が、わたし個人からでたものであって、何人からも干渉されていないことを明記します。
 今後、呼吸困難のために意識状態が悪化し、意識がもうろうとして決意に矛盾することを訴える可能性があります。また、しかし、今後いかなることがあろうとも、現時点での決意が最終的決断であると断定します。呼吸不全のため二酸化炭素の蓄積などによって私が別の考え方の人間になり、その別の私に対して皆様方が、哀れみと同情をお寄せくださることでしょう。慈しみ深き皆様の情愛に感謝しつつ、私はここにひれ伏してお願いいたします、本来の私を哀れんでくださり、私を逝かせてくださいますように。
 今後起こりえる多くの出来事の各々に、具体的に対応策を決めることはできません。すべてに共通する姿勢は、心身の苦痛を強いることは、事ここに及んでは一切を拒否します。蘇生術を行わないことは無論ですが、呼吸が悪化してこのままでは亡くなるとか、肺炎になったら一時的でも呼吸器による管理をして抗生剤の治療をするなど、このような状況は「心身の苦痛」を長引かせることとしてお断りいたします。
 もし万一、この私の意思に反して、主治医、家族が呼吸器につなぐことを行った場合、予防の効果も期待しつつ私は懲罰として、弁護士をたてて責任者を民意訴訟で訴えることとします。訴訟費用は、私の遺産からすべてに優先して差し引かれます。
 ほとんどありえないことではありますが、もし私の考えでこの決意書の内容に変更を希望する場合が生まれた時は、再度、家族と弁護士の立会いのもとに、ビデオに撮影しつつ変更部分の書き直しをいたします。
 わたしの父親が54歳で心筋梗塞で死亡したとき、私はこころの中で叫びました。「どんな状態でもいいから生きていてほしい」と。家族にとってみれば、私の存在がなくなることはさびしいことかもしれないが、今後は「お父さんというソフト」を必要なときに取り出して、これからの人生に役立ててください。《お父さんなら、こんな時、どう考えるだろうか》と考えてください。そのとき、私は天国で至福を感じることでしょう。そして私は、空から大きく息を吹きかけて、一陣の風を送ります。風を感じたら私だと思ってください。
 最後に主治医に一言お伝えします。あなたが私の最期の主治医になってくださったことをあらためて感謝しています。理不尽なことの尽きない世の中で、悩める患者さんの傍らにたえず、寄り添ってくださって、励ましつづける医師であることを念願しています。誠にお世話になりました。          
 以下は補足です。特に主治医が寛大な心でお読みくだされば幸いです。
 なぜ呼吸器を拒むかについて、理由をご説明します。私は自分の理解できないことは、自分で手を伸ばして、自分で確認して、自分で消化してきました。これのできない私自身は、私ではありません。終日ベッド上にいることは私にとって生き地獄です。そんな生活を私に強いる資格や権利は、本人の意志表出が可能な間は、本人に帰属するのであって、家族や主治医にはありません。また結婚してから、私は自分のしたいことは、すべて後回しにして家族のために働いてきました。最後の身の振り方は、わたしが決めます。
 私は、ALSの呼吸器につながれた状態がいかなる世界なのか、元神経内科医として不十分ながら予測できます。かつて患者さんから求められた時、そのことを私なりにリアルに語ることができました。私は、ご本人の意向を尊重したいと伝えていたので、もし呼吸器につけたいと希望されればそのようにするつもりでした。しかし、私の患者さん24名は、全員が明確に装着を拒否して亡くなりました。もし、呼吸器をつければ、まだ生きながらえますよとか、呼吸困難から逃れる方法は呼吸器しかありません程度の説明で呼吸器を強いられるなら、一種の犯罪になると考えます。呼吸器につながれたまま、これは地獄だと思い続けている患者さんが決して少なくないと思います。皆さん、想像してください、呼吸器につながれてからの膨大な時間、強烈な痛みとだるさ、尊厳のある姿から程遠い姿、家族への負担を受け入れざるを得ない哀しさ、etc、これらを私達患者に何の権利があって強いるのでしょうか。医療関係者は、情報を広く本人に偏りなくつたえて、自己決定ができる間にしてもらえる努力を払ってくださるよう心からお願いするしだいです。                          
                              2003/12/31

 私は、その後、コミュニケーションの最期の手段であった指もうごかなくなった。その後、急速に生きる張り合いを失っていった。呼吸は浅く頻回になり、パルスオキシメーターは90%前後を記録。全介助の状態にあり、時々、全身にだるさや吐き気を自覚した。血行障害による疲労物質の蓄積によるものであり、私が家族に頼んでいたように、妻や子供たちがかわるがわるマッサージをしてくれた。しかし、もっともしてほしい時に意思表示ができないので、してもらえないことがしばしばであった。血圧が上がって苦しそうな時には私が前もって支持していたように、セルシンの少量の座薬が効果があった。一般に呼吸抑制があって筋弛緩作用のある抗不安薬は使用したがらないが、私としては効き目があった。しかし、息苦しさが増してきた段階ではモルヒネの座薬がもっとも効果があった。付き添っていた妻が、主治医にモルヒネの座薬を入れると一番呼吸が楽なので、投与回数を増やしてほしいを頼んでくれたが、主治医は増量すると、呼吸抑制があるから反対した。私は聴覚は正常に保たれていたので、これらの会話をすべて聞き取っていた。そして「勉強不足の主治医だな」と声が出るなら言ってやりたいと思った。「この程度のモルヒネで呼吸抑制がおこるわけがないのに」。しかし、自分自身もかつて多くの患者の臨終で逆に自分自身が同じように思われていたに違いないと思った。ともあれ現段階では、100日生きながらえることより、一日でも苦痛のないことの方が重大なことであった。妻は泣きながら主治医に増量を頼んでくれた。私を理解し、人生をともに闘ってきた戦友である妻にあらためて感謝した。モルヒネの座薬が増量されて、苦しさをほとんど感じなくなった。痰がごろごろしていても、また吸痰の時に息苦しさが増すはずなのに、ほとんど気にならなくなった。自分の体が自分のものでないかのような感じになっていた。数日後のある日、今から眠りたいと思った。もう覚醒することはないとも思った。またこれが死ぬことなのだろうとも思った。それから2日後、子供たちに頼んでいたモーツアルトのジュピター交響曲が流れる中、2004/1/24、永眠した。

【5】 スピリチュアル ケア
@「もし私がALSになり呼吸器をつけることを選択したら」と考えてみました。いろいろな準備をするでしょうが、ひとつは、まだ発声が可能な時期に4-5年先の、まったく動けなくなった自分に対してエールを送る言葉を録音しておきたいと思いました。「今、あなたはまったく動けない状態でしょう。呼吸器をはずしてほしいと願っているかもしれません。でも、私の熟慮の上の決断であって後悔しないでほしい。けっして家族を責めたり、この世を恨んだりしないように。自己の責任のもとに私は決断したのですから。あなたの魂が弱っていたら私は悲しい。元気を出してほしい。岩の上の草のように、私達はいつ枯れるかわからない。でも生かされていることが、生きることなのだと思う。ではまた。」

A「もし私がALSになり呼吸器をつけることを拒否したら」と考えてみました。自分が呼吸器を拒否することが、家族と共に生きることまで拒んでいると受けとめられないように、つまり自分が家族に背をむけるようにして「もういい。何もしないでくれ。」とならないように注意しようと思います。自分がどうして呼吸器を拒むかについてまず明確に説明します。その後、家族への思いやりを充分に示そうと思います。「私は呼吸器をつけないために目前にある別れを選ぶが、私はいつもあなた達の心の中にもいます。私が死んでから、このような時、お父さんなら何て言うのかなと思ってほしい。その時、私ははっきりを皆の心に語り掛けるから。いつも私は天国から皆を見守っています。だから皆が寂しくなることはありません。」

B呼吸器をつけながら、眼球の動きが止まって完全に外界とコミュニケーションができなくなった自分を、どうしたら元気づけられるかと考えました。5年から10年、場合によってはそれ以上の長い時間、ベッド上での生活をどうしたら楽しめるかと。音楽療法がいいなと思いました。音楽には人の心を癒す力があります。憂鬱な気分の時、たまたまラジオから流れるビートルズの曲が「ひとりで悩んでいてはいけないよ」と語りかけてくれているような気がします。私の趣味はクラッシク音楽で、小学5年からひとりで聞き始めました。癒されたい時はモーツアルト、自分を鼓舞したいときはベートーヴェン、聖書の学びをするときはバッハ、人生のデリカシーを味わい時はショパン等など、時間のあるときは朝から夜まで聞いています。歌詞の世界も実に深遠です。今のうちにたくさんの曲を聞いておいて、終日臥床になったら、その都度、記憶を再生して聞きたい曲を聞くのです。誰の手を煩わすこともなく簡単です。しかし膨大な時間が将来、用意されていると考えるとやはり、自分の頭のメモリーディスクに頼るには限界があるので、各作曲家の全曲をCDに編集しておきたいと思いました。50枚程のCDを連続して聞ける装置を準備し、一ヶ月がかりでモーツアルトの全曲を彼の人生の歩みにしたがって聞くのです。次はマーラー、バッハ、ブラームス、リスト、シューマン…。家族の負担のないように操作手順はできる限り少なく準備します。演歌、歌謡曲、ジャズ、ロック、この世の中には実にいい曲がたくさんあります。それをじっくり聞きつづけられることは、ある意味で贅沢であり、音楽愛好家にとってはそれ以上の幸せはありません。心に栄養を与える方法は、音楽以外にもいろいろあります。ALSに限らずさまざまな原因で私達の肉体が衰えていった時に、魂まで衰えさせない方法を身につけておければ、少しは療養生活の負担が減るのではないでしょうか。

Cもし私がALSになり呼吸器を拒否したら」と考えてみました。臭覚がALSのどの位の時期まで存続するか不明ですが、アロマセラピ−(香りの治療法)はうんと早い時期からやってみたいと思いました。お香の文化の起源は中国、インドです。これをたく目的は、家や部屋内に漂う邪悪な霊を追い出すことにあるそうです。そうと知ってから、私は自分の心に邪悪なものが潜んでいると感じたら、ジャスミンの香をたいていました。「なぜこの悲惨な現実が私に?」、「なぜ自分がこの病にかからなければいけないのか?」 こんな思いに沈んでいるとき、香りが邪心を追い払ってくれるものと信じます。

D呼吸器につけられ数年すると、眼球も動かなくなります。そうなると外界とのコミュニケーションは今のところ皆無です。物言わぬピクともしない肉体が私達の目の前にある時、私達はどれだけその方に、共感と敬意を伝えることができるでしょうか。動かないこと以外はまったくの生きた人格ある人間のはずです。介護する私達がそのような方の訪室や訪問する際、挨拶の一言が必要です。また初めて際には、簡単な自己紹介をして礼儀を尽くすべきと思います。


【6】最後に感想
 今回、機会が与えられてこのようにまとめさせていただきました。そして感じることは、「我々が生き抜くことは、ALSであれ何であれ、決して容易ではない」ということです。呼吸器装着に関する情報を、私なりの仕方で提示いたしましたが、知らされないほうがよかった、何も知らないで困り果てていたほうがよかったと思う患者さんもおられるような気がします。いろいろな患者さんがいて、それぞれの幸せがあることでしょう。介護する我々もさまざまで、患者さんに「自分には何もしてあげることがない」まま、踏みとどまらねばならないこともあり、また立ち去る勇気が求められる場合もあるでしょう。患者さんにとっても、呼吸器をつけるか否かの決断は無論のこと、それに関する情報を知ることさえも、つまるところ自己責任と自己判断です。患者さんたちが、ALSという病を正しく適切に知り、そして自己の責任において自らの処遇を行使できますよう、心から願うものであります。

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