ベタニヤ内科・神経内科クリニック

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ALSと呼吸器
エッセイ
緩和ケア

コミュニケーションが断たれ全介助で生きる     自分のために自ら備えるスピリチュアル ケア
【目的】疾患によっては、患者が意識清明でありながら一切の意思疎通を絶たれて生存しなければならないことがある。たとえば随意的眼球運動ができなくなった筋萎縮性側索硬化症(ALS)の末期患者では、コミュニケーション能力がほぼ絶たれる。肺炎などで平均4-5年して亡くなるが、全介助で10年以上生存した例が報告されている。コミュニケーションができなくなった状態で、彼等が何を心のよりどころにして生きておられるか推測は難しい。私はALS患者の担当医になることが多い神経内科医師から、ALSになったと仮定し、その自分のためにいかなるスピリチュアル ケアを準備することが可能かを収集し検討した。【対象と方法】私の友人である神経内科医10名を対象にした。男性医師7名(28〜55歳、平均46歳)、女性医師3名(30、45、48歳、平均41歳)。「ALS末期の患者になり一切の随意運動ができなくなったと想定して、そのようになる前に自分自身の心の慰めや励ましのために自分でいかなる備えをしたいか?」と問いかけ、具体的提案を収集した。【結果】10名のうち、2名(A、B氏)から回答が3つあり、A氏から「心身の厳しい状態を推測でき、そのための備えは重要である」。残りの8名からは、「呼吸器を拒否したい、よってそれに答えるのは難しい」、「今まで考えたこともない問いであり返答不可」などの返答を得た。A氏:「何年もの間、身動きひとつできない生活を楽しめるようにするには、音楽療法がいいなと思った。音楽には人の心を癒す力があり、絶えず音楽の中で生きていきたい」、「まったくコミュニケーションができなくても、自分自身への情報の入力が可能なら、まだ成長の可能性がある。キリスト教を信仰する者として牧師の礼拝説教を聞き続け、神からの啓示を受け続ける者でありたい」、「 まだ発声が可能な時期に、自分に対して次のようなエールを送る言葉を録音しておきたい」。B氏:家族に前もってお願いしておきたい、「今日一日、あった出来事を私に聞かせて欲しい」と。そのことが私にとって唯一の慰めになることでしょう。【結語】@ 10名の医師のうち8名は、今回の問いかけのようなテーマに取り組んだ経験がなかった。対象は無作為抽出ではないが、この種のケアに対する医師らの関心は希薄であると思われた。A ALSに限らずさまざまな原因で私達の肉体が衰えていく。そして終日臥床状態におかれた際、圧倒的多くの時間を一人で過ごす。魂を衰えさせない方法を自分なりに習得し、また準備しておくことは、長い療養生活を送る上で、心のQOLを高めることにつながると考えられる。B コミュニケーションが断たれると予想される患者に対し、死を受け入れる段階が各々異なるので、自ら備えるスピリチュアルケアの必要性は、担当医や関係者は、無理強いすることのないように、本人の必要を確認しつつ勧めたほうがよい。個人の内的世界はさまざまであり、魂のよりどころとなる領域も個人次第であるので、スピリチュアル ケアは自分自身で備えることが望ましい。C 日本のリビングウイルには法的決定力がないため、たとえリビングウイルを残しても、本人の意思が最期まで遂行される保障はない。よって、リビングウイルを作成しても、不本意ながら意思と異なる介護を受けねばならない状況におかれる可能性は十分にあり、それに対応するために一言を明記する必要がある。                第15回日本ホスピス・在宅ケア研究会全国大会抄録

キリスト教の世界
(1)Spiritual Careについて ダグ スパークの例 

       現在、作成中


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